「来国次」・・・日本人には昔から日本刀を贈る風習があった。

 寛永18年(1641)三代将軍・徳川家光に長男家綱が誕生した。御七夜には、全国の諸大名から、将来将軍となる男子へと、多くの誕生の祝いが贈られた。「徳川実記」(19世紀前半)に編纂された江戸幕府の公式記録)によると、尾張大納言義直卿(家康の九男・徳川義直)からは、「助真(すけざね)太刀」を御所へ。「包平(かねひら)太刀」「長光刀」「来国次脇差」を若君へ。

紀伊大納言頼宣卿(家康の十男・徳川頼宣)からは、「国宗太刀」を御所へ。「長光太刀」「長光太刀」「長光刀」「来国次脇差」を若君へ。水戸中納言頼房卿(家康の十一男・徳川頼房)からは、「来国光太刀」を御所へ。「則次太刀」「長光刀」「来国次脇差」を若君へ。

鎌倉時代後期の備前国(岡山県南東部)長船派の刀匠「長光」、そして鎌倉時代中期から南北朝時代にかけて山城国(京都府南部)で活躍した来派の刀匠「来国次」の作刀である。

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